問いH
 

 私は卒業論文を「宗教音楽の研究」という題目で進めており、今は仏教についてまとめております。
 今までは文献調査などで寺院ではどのような音楽を扱っているかを理解するよう努めてきました。
 そして、次の段階で実際の現場の声を聞きたいと思いましてメールという形ではありますが、2・3の質問を送信させていただき、回答を得ております。
 質問は以下になります。また今回の「仏教音楽」は「儀礼に用いる音楽(仏教的意味を有する音楽)」です。
@御寺では仏教音楽をどのように解釈されておりますか。
A御寺では具体的にどのような音楽を扱っておりますか。
B今後、日本において仏教音楽は変化するのでしょうか。
Cそのほか、特記事項がございましたら回答願います。
 お時間がございましたら、回答をお願いいたします。今回集計しました結果を「現在の日本における仏教音楽」としてまとめられたらと思います。

 

住職の答え

 

@御寺では仏教音楽をどのように解釈されておりますか。
   仏教音楽とは、仏徳賛嘆(ぶっとくさんだん)の為のお荘厳(しょうごん)の一つだと考えています。

A御寺では具体的にどのような音楽を扱っておりますか。
   仏教に関係する音楽という意味では、声明(しょうみょう)も大切な仏教音楽です。
   浄土真宗は天台系の声明を受け継いでいます。
   そのほか仏教讃歌や行事の際の雅楽も欠かせません。
   残念ながら当山では雅楽を奏でることはできませんのでCD等を使いますが、近隣には雅楽を学んでいる僧侶のグループが
 あります。

B今後、日本において仏教音楽は変化するのでしょうか。
   これまでの長い年月受け継がれてきた声明などの音楽は変わることはないと思います。しかし仏教讃歌など近年新たに
 生まれてきたものはその時代に応じて変化する事があって良いと考えます。

Cそのほか、特記事項がございましたら回答願います。
   各宗派はその歴史に根ざす声明を受け継いでいます。天台系では京都の三千院が声明の中心です。またわが宗派にも
 仏教音楽・儀礼研究所が設置されています。
   他には真言系の声明もあると聞いています。お調べいただければと思います。

 


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問いI
 

 HPを拝見して多くの方が色々なご質問をなさっているのに勇気付けられて、メールをさせて頂いております。
 夫は禅について勉強をしていますが、子供を生むことが禅の修業にはマイナスであるのでは、と子供をつくることをためらっています。
 お釈迦さまも修行のために子供を捨てたし、ガンジーなどの偉大な人物もみな家族を捨てていることから、ということですが、実際、偉大な宗教者で子供をもっていた、そして、捨てることもしなかった人物というのは、皆無なのでしょうか。
 また、子供をもつことが、禅的・仏教的な生き方の実践に与える影響は、どのようなものなのでしょうか。
 このようなことをどこで調べればよいかがわからず、困っておりました。ご教示いただければ幸いです。
 宜しくお願い申し上げます。

 

住職の答え

 

 メールを頂きありがとうございます。
 ご主人が禅についての勉強をしておられると言うことですが、出家して僧侶になることを志しておられるのでしょうか。
 もしそういうつもりで修行をなさるのであれば、この問題は是非お師匠様にお聞きになることです。 
 禅では、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗のいずれにおいても、師匠と弟子の関係を重視されています。禅の世界は、書物(すなわち文字で表されたもの)を読んだだけではわからないものですから、師匠との様々な関係が大事なのだと思います。

 私は浄土真宗の僧侶ですので、禅の修行を積まれた高僧方のようなお答えはとてもできません。
 ですから私なりの勝手な思いだけを少し書かせていただきます。

 浄土真宗は、あるがままの私を阿弥陀如来がおたすけ下さると信じて、必ず仏様にしていただくことのできる命を、最後まで力一杯生き抜いていく教えです。
 仏となる命を生きるということは大変なことです。いつか多くの方々に拝まれることになると信じて生きるのですから、拝まれるにふさわしい人生を送らなければならないと言うことです。もちろん私にそんな生き方などできるはずがありません。
 笑われたり、恨まれたり、憎まれたりすることはあっても、拝まれるような人間には到底なれないことは自分が一番よく知っています。けれども、それでも、私が死んだときには、阿弥陀如来のお働きで私は仏とさせていただいて、人々は私を拝んでくださることでしょう。
 本当に申し訳ないことですし、またありがたいことでもあります。
 そのことに気付いて生きることができたことを、喜ばなければならないと思っています。もしかしたら私は、そのことに気付くことができたおかげで、ほんの少しでもましな人生を生きることができているのかもしれません。
 このことに気付くことなく生きて、そのまま死を迎えていたならば、どんな人生を送っていたでしょうか。

 このように仏となる命を生きる上で、子供をもつことがどう関わっていたのかを改めて考えました。
 私には三人の子があります。さっぱり子育てにも関わらなかった出来損ないの父親ですが、子どもがいてくれたおかげで多くのことを教えられたように思います。
 言うまでもなく子どもは親が作ったり作らなかったりできるものではありません。昔から授かり物というように、授かった大切な命です。さらにそれ以上に、私にとっては師匠でもあったと思っています。

 夜泣きをする我が子に対する私の心がどんなに恐ろしいものであったかは、今は思い出したくさえありません。子育てに苦しんで事件を起こしてしまわれた親御さんの気持ちはよくわかります。私は本当にありがたいことに、そのような事件を起こさずにすんだということです。

 そのほか嬉しいことや悲しいことや子どもがいてくれたからこそ味わうことができたたくさんの出来事がありました。そのすべての場で、私は自分自身に向き合わせていただいたと思います。

 先ほど「拝まれるような人間には到底なれないことは自分が一番よく知っています」と書きましたが、このような子どもたちとの関係の中で、私の本性に気付いてきたのがコレまでの人生だったと思います。

 私の勝手な思いを長々と書き連ねてしまいました。お答えにならず申し訳ありません。どうか禅の上のお師匠様に、よくお聞き下さるようお願いいたします。


 


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