新潟組 僧侶研修会で福島に行きました(2013.3.11.〜12.)

 

2013年3月11日
 新潟組内の僧侶8名で、研修のため福島県に出向きました。
 東日本大震災から2年、3回忌を迎えるに当たって、地震や津波の影響はどこまで復興しているのか、そして何より原発事故という福島県民に多大な影響を与えている出来事の、2年後の状況を直接知りたいということが、今回の研修旅行を企画した要因でした。
 たまたま、いわき市のいわき公園内の仮設住宅に、継続した支援活動で出向いている「震災支援を続ける会」という、我々と同じ浄土真宗本願寺派の僧侶集団があって、その会で3回忌法要を行うと言うことを聞いていましたので、その法要に参加させてもらうことにしました。
 左の写真が、その「楢葉町高久第8仮設住宅」です。 
 いわき公園は、広さ71.3ヘクタールという、広大な県立公園です。
 新潟市の県立鳥屋野潟公園が14.4ヘクタールですから、その広さがわかると思います。
この公園内に、私たちがお邪魔した仮設住宅があります。戸数123ということです。
 主催団体の方々に混じって、我々も阿弥陀経を拝読し、参拝の皆様にお焼香をしていただきました。 
  法要終了後、新潟組の8人全員で私の運転するワゴン車に同乗してもらい、各地をめぐってみることにしました。
 まずは原発に少しでも近づいてみようと言うことで、Jビレッジのある広野町をめざしました。福島県は、宮城県・岩手県に比べると津波の被害は比較的に小さかったようで、海岸沿いを走っても一面の砂原といった景色ではありませんでした。
 けれどそれだけに、それほど壊れていない自宅が残されているにもかかわらず、原発事故の影響でその自宅に帰ることができないつらさは、また別なものがあることでしょう。
 これ以上行くことができない地点まで走って、警察の方からここで引き返してくださいという指導を受け、Uターンしてきました。
 驚いたのは、その指導をしてくださった警察官が兵庫県警の方々だったことです。
 今でもこんなに遠くの方々が手伝いに来ておられると言うことを知り、事の重大さをあらためて実感させられました。
 上の写真は、高速道路の広野インターチェンジに設置されている、これから先は警戒区域という電光掲示板です。
 広野インターから高速道路に入る際に、車を止めて撮影しました。本当は違反ですよね… ごめんなさいm(._.)m
 左の写真は、広野町の公園から見た海岸の風景です。
 先述の通り、福島県は比較的津波の被害が小さかったのではないかという印象を受けていましたが、やはりこれほどの被害を受けた場所もあったことが、よくわかります。
 あくまでも、岩手や宮城のひどすぎる被害をうけたところとの比較で見てしまうことは、恐ろしいことだと反省させられました。
  この日は、スパリゾートハワイアンズに宿泊です。
 懇親の席もそこそこに、フラガールのショーを堪能しました。
 その後はゆっくりとお風呂三昧!寝る前に3カ所のお風呂をめぐってきた人もいて、みんなに驚嘆されていました。
 「今日一日の運転の疲れもとれたでしょう!?」
とねぎらわれていましたが、一日運転を続けたのは… 
        私か〜 (^^ゞ
 
お風呂疲れで、そのまま爆睡。
 
 
 2013年3月12日
 翌朝の朝食後、かねてお願いしてあった、ハワイアンズの下山田支配人から、震災当日からそれ以後のご苦労について、1時間の講演をしていただきました。
 わざわざそのために一部屋をとっていてくださり、静かな環境でお話をお聞きすることができました。
 平成23年3月11日、この日の午後2時46分。当日の宿泊客を東京方面から迎える送迎バスの到着が午後1時、前日からの宿泊客を東京方面に送るバスの出発が午後3時。まさにそういうタイミングで地震が起こったという説明でした。二日分のお客がいるところでの大地震だったわけです。
 その晩は、全員をもっとも倒壊の危険性が低いコンベンションホールに収容し、一晩を過ごしたといいます。 
 翌3月12日、東京方面に向かうルートを、社員が事前に試走して、安全確認と状況調査を行われたそうです。
 「海岸を走る国道6号線ルートはまったく使えない。国道4号線は何とかいける!」
ということで、途中のトイレ休憩の箇所なども綿密にチェックし、13日、バス18台で東京方面へ宿泊客を送り返したのだといいます。食料として売店のお菓子などをありったけ持たせ、朝9時に出発し、到着が夜の10時だったそうです。
 いくら商売とはいえ、ここまでお客の安全を考えて対応してこられたことには、心から敬意を表したいと思います。
  その後、平成23年の5月から9月までは、福島県指定の二次避難所として、広野町の町民360人を受け入れたのだそうです。
 赤字を覚悟で、温泉は入り放題、一家族に一部屋を使ってもらう、という形をとったため、ホテルの従業員が部屋を訪ねると、「うちに寄っていきなさい」と、避難された方が部屋に呼び込んでくれるほど、ゆっくりとすごしてもらったと言っておられました。
 避難を強いられた皆様にとって、どれほど心が安まられたことであろうと思います。
 その後、平成24年2月8日のグランドオープンに当たって、避難しておられた広野町の方々が桜の木を記念に寄付されたそうです。右がその写真です。「自分たちが避難していた部屋から見えるところに植えてくれ。毎年桜が咲く時期にその部屋に泊まって、花を見ながら思い出を語り合うんだから。」という条件付だったそうです。
 またグランドオープンの際には、3月11日にこの場所で大震災に遭った方も大勢宿泊に来られたと言います。そして3月11日分の宿泊費を受け取っていなかったため、「その宿泊費を払う」、「いやもらえません」というやりとりが何件もあったと言っておられました。
 人と人とのつながり、そして心と心のつながり、ご縁の尊さをつよく感じた講演でした。
   
 講演をお聞きした後は、小名浜の港に向かいました。
 遊覧船に乗り、海から被害の様子を見学し、船員さんから説明をお聞きしました(上・右の写真)。
 上・左の写真は、地震で崩れてしまった岩です。以前はもっと形が良かったんだと言っておられました。
 防波堤で津波が弱められ、港を直撃することはなかったそうです。
 「直撃されたら、港の石油タンクがやられて、今頃は小名浜の町はなかったね。」という説明を聞き、新潟は大丈夫だろうか!?という不安が大きくなってしまいました。
 左の写真のように、地震の被害がまだそのまま残されたところもあって、既に2年、しかしまだ2年といった思いで、見学させてもらいました。
 

 また港のいわき・ラ・ラ・ミュウでは、「いわきの東日本大震災展」が開催されていて、多くの写真や避難所生活の様子を再現したセットなどが展示されていました。
 本当に皆様のご苦労が身に沁みる思いで、見学させてもらいました。


 その後は昼食をとり、お土産の海産物などを購入して、帰宅の途につきました。


 おかげでこの日は快晴に恵まれ、景色も良く、楽しいドライブで還ることができました。
 お世話になった皆様、本当に有難うございました。
 

 そして福島の皆様、私は何もお手伝いができず、本当に申し訳ありません。
 けれど、皆様のご苦労のことは決して忘れません。
 これからもずっと、応援をしていくことだけは間違いないと、それだけは申し上げておきたいと思っています。