さるべき業縁のもよほさば

平成13年8月林徳寺仏教壮年会報「誠心」掲載

 

 平成13年6月8日、大阪府池田市で恐ろしい事件が起こった事は記憶に新しい事です。
 どうして小学校の1・2年生と言うかわいい盛りの子供たちがこんなかわいそうな目に会わねばならなかったのかと思うと、容疑者に対する抑えようのない怒りが湧き上がってきます。

 また、同じ6月28日には、今から13年前に4人もの幼い子供たちを殺害したとされる宮崎勤容疑者に対して、東京高裁で一審に続く死刑判決が下されました。
 このニュースで宮崎勤と言う名前から、「あーそんな事件があったなー」とすぐに思い出されました。一方、「ところで池田市の事件の容疑者は何と言う名前だっただろうか?」と考えてみたのですが、とうとう思い出すことが出来ませんでした。

 皆さんは今その名前がすぐに思い浮かぶでしょうか。
 そう、宅間守と言う名前でした。

 13年前の事件の容疑者は思い出されても、ついこの間の事件の事が思い出せないのはなぜでしょう。
 それだけ、このような事件が多くなってしまったと言う事ではないでしょうか。私たちが残念な事に、そして恐ろしい事に、このような事件に慣れてしまって、それだけ受ける衝撃も小さくなってしまったのではないかという気がしてなりません。
 私たちはこのような事件に出会ったとき、恐ろしい事だ、信じがたいことだ、と、自分には無関係なよその出来事としての感想を持ってしまいます。特に近年はその傾向が強くなっているようです。しかし、本当にこのような事件はよその出来事でしょうか。

 『歎異抄』に親鸞聖人の言葉として、『さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまいをもすべし』とあります。同じところに『我が心のよくて殺さぬにはあらず』とも示されています。
 この私も、その状況によっては何をするかわかったものではありません。
 私がこれまでそのような犯罪者にならずにすんできたのは、決して私の心がよいからではないのです。昔から、「その罪をにくんでその人をにくまず」といわれているのは、このように、いつ自分も罪を犯してしまわないとはかぎらないのだ、という思いが皆あったからではないでしょうか。

 「私は、どのような恐ろしい事をしてしまうかわからない人間なのだ」と、はっきりと自分の本性を見つめ、自覚する事が大切であると思います。その思いでそれぞれの事件をもう一度見直してみたとき、これらは決してよその出来事ではありません。それどころか、『害せじと思うとも、百人千人を殺す事もあるべし』と親鸞聖人がおっしゃった姿がこの私です。
 これまでに私が気付かなかっただけで、本当は多くの人々に大変な迷惑をかけてきたのかもしれないのが、私の人生です。

 そう自覚した眼でこのような犯罪を見たとき、我が身の恐ろしさに身が縮む思いがいたします。

 ただ本当にありがたいことに、このような私であればこそ心配で心配で、見守り続けずにはいられない阿弥陀様がいてくださいました。この私を救わんがための阿弥陀様の御本願があって下さいました。

 『かかるあさましき身も、本願にあひたてまつりてこそ、げにほこられさふらへ』とありますように、御本願に出会う事ができるからこそ、このような何をしでかすかわからない我が身を正面から世間に向けて生きていけるのです。私たちはもう一度、この親鸞聖人の、浄土真宗の御教えに出会えたことを喜び、その上で我が身を振り返ってみなければなりません。そうする事が、今の世の中を良い方向に戻す唯一の方法であると思えます。