日本の教育改革を考える

平成12年9月新潟県PTA連合会研究大会
秋山 仁先生の講演後のシンポジウムにて

 

 午前の秋山先生の講演を聞いて、私が教育改革について疑問に思っていたことで、解決したかなと思う点とさらに疑問が深まった面とがあります。

 外国との比較で日本の教育は知識の詰め込み教育であり、これからは学び方を、学ぶことの意義を教える教育にならなければいけないということでした。確かにその通りですが、見方によっては必ずしも日本の教育は、知識の詰め込み教育ではないと言えると思います。アメリカのニューズウィーク誌は、その特集号で、外国語教育はオランダが優れており、数学教育はドイツが、そして理科教育は日本が優れている。日本の小学校の理科教育は必要な器具がすべて学校に常備されており、実験も多く行なわれ、教師が十分な配慮をして子どもたちの科学的に考える力を養っている。しかし、アメリカにおける理科教育は単なる知識の詰め込みである、と述べています。

 講演では大人の学力、科学に対する関心度の低さも指摘されました。しかし、日本では大学の工学部卒業生が毎年10万人です。人口の割合で比較すればアメリカのほぼ2倍です。興味関心のない人が厳しい受験を通って工学部に入学するとは考えられません。日本人は理科、特に技術分野に関しての興味関心はアメリカの2倍あるとも言えるのです。

 講師のお話には非常にもっともであるいう点がたくさんありました。しかし、一方的な見方だけで教育改革を推進してよいのだろうかという不安もまだあります。新教育課程では中学生の数学と理科の年間授業時数合わせて158時間、一方、アメリカでは295時間、オーストリアでは390時間です。内容もこれまでの3割削減です。授業での先の流れを無視して、ちょっとこれは子どもたちに難しすぎるのではないかということで削る。先生方は非常にやりにくくなるのではないでしょうか。

 資源の乏しい、狭い国土で日本が世界で生き残っていくにはやはり技術によるしかないと考えます。その技術分野がいままでどおり、あるいはそれ以上のレベルで保たれるのかどうか心配です。知識備重の教育の問題も秋山先生は話されました。しかし、教育基本法の述べる日本の教育の目的は人格の完成であり、教育基本法のどこにも知識・技能については言及されていません。私は日本の教育はこれまでも人格の完成を目指して行なわれてきたと考えています。その一番大切な根幹となる部分は部活動をはじめとする課外活動だろう思います。また、日本の小・中学校では、伝統的に子どもたちが自分の学校の清掃を教育の一環として行なってきました。恐らく日本だけのことでしょう。また、給食当番を子どもたち自身の手で行なうことも日本だけのことでしょう。 これらが人格の完成を目指した教育になっているのだと思うんですが、今、その課外活動、特に部活動が崩壊しつつありますこれをなくして生きる力を養う心の教育なんてできるのだろうか、非常な不安を覚えています。

 最後に、日本ではこれまで他の国とは異なり、結果が平等であるような教育を目指してきたと思うんです。日本国内なら、どの県でも、どの学校でも、どのクラスでも同じ結果が得られるように教育してきました。しかし、これからは子供たちの取り組み方や、担任の考え方によってずいぶん違った結果が得られるような事になります。地域差、学校差、個人差も大幅に出てくるわけです。それをはっきりと認める教育がなされ様としているわけです。それを私たちは親として受け入れられるのでしょうか。これからの日本社会はこういうことを認めていけるのでしょうか。そこまで私たち親が十分に話し合い、納得できているのでしょうか。不安に思います。

 このような状況の中で、私たち親としてはボーっとしていられない、もっと積極的に学校にもかかわっていかなければいけないし、情報収集、情報交換にも努めなければならないと思っています。その意味で、このPTAと言う組織の重要さが益々大きくなると思います。