歴史の変わり目にあたって

平成12年8月林徳寺仏教壮年会報「誠心」掲載

 

 今年は西暦2000年です。私たちは偶然にもこの時代に生きるご縁をいただいたために、20世紀の終わりとともに、西暦1000年代の終わりをも体験することができました。まさに千年に一度の出来事です。

 将来我々の子や孫があるいは遠い子孫が歴史のひとつとして学ぶことを、今私たちは現実に見、聞き、体験しているのです。大変ありがたい事であるとともに、しっかりと見極め、記憶し、間違いなく伝え残さねばならない責任の重さも感じさせられることです。

 この歴史の変わり目にあたって、良子皇太后(香淳皇后)様が6月16日に97歳をもってご逝去なさいました。先年亡くなられた昭和天皇様とともに激動の時代を生きられて、大変なご苦労がおありだったであろうと思います。しかし常に品のよい笑顔を絶やされず、天皇陛下に寄り添っておられたお姿が思い浮かびます。

 またその直後の6月22日には、私たちの本山西本願寺の大谷嬉子前裏方(光慧院釈浄恵)様が、82歳をもってご逝去されました。今は引退をしておられますが宗門のために大変なご活躍をされました第23代光照ご門主のお裏方として、女子教育へのご貢献や多くの著作など、宗門のためのみならず日本の国全体のためにも力を尽くしてくださったお方でした。

 ともに大変残念でありさびしい思いをすることですが、ひとつの時代が本当に終わったということを痛感させられる出来事でもありました。そしてまた、今、自分がまさに巨大な歴史の流れの中に間違いなく生きているということを、確認できたようにも思います。

 そこで歴史を振り返ってみますと、西暦の1000年代には実にさまざまなことがありました。藤原道長が活躍し、清少納言が『枕草子』を書いたのがちょうど西暦1000年頃の事です。それから1千年。私たち人間はこの間にどれほど変わったのでしょうか。確かにさまざまに便利なものが作られ、生活は楽になりました。少なくとも日本においては戦争もありませんし、多くの飢え死に者が出るような飢饉の心配もありません。まさにこの世の極楽が実現されたと言えるようにも思います。しかし一方、人間そのものはほとんど変わっていないように思えます。むしろおかしくなっているのではないかという気持ちさえしてきます。

 親鸞聖人は、『教行信証』の序文に「私なりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝きである。」と書いておられます。渡ることのできない迷いの海を、煩悩の闇に包まれて渡らねばならない自分であることを、今の私たちは忘れているのではないでしょうか。お金や物があれば何の心配もなく生きていかれる、と思い込んでいる人が多くなっているように思います。しかし、お金や物では決して解決できない問題が私たちの人生に数多くあることはいうまでもありません。そのときに本当に頼りになるものこそ「自分にとって最も大切なもの」でありましょう。

 親鸞聖人がお亡くなりになったのは今から740年程前のことです。それから今日まで、浄土真宗のみ教えは延々と守り伝えられてきました。他の宗派による迫害、織田信長などの戦国大名との戦い、明治の廃仏毀釈など、今の私たちには想像もできない出来事の中を、私たちの先祖は命をかけてこの教えを守ってこられました。それは「自分にとって最も大切なもの」は何か、ということを本当に知っておられたからではないでしょうか。

 ほかのすべてが私を見捨て、私に背を向けることがあっても、決して捨て去らずにいてくださる親様、阿弥陀様がおられる。常に阿弥陀様が見守っていてくださる、私一人のために呼びかけ続けていてくださる、と信じられることがどれほど生きていく上での頼りになり支えになることでしょう。

 阿弥陀様の光明に包まれて生かされている自分であったと味わいながら、今の時代を正しく見極め、次の時代に伝え残していきたいと思うことです。