み教えに出会うことができた喜び

平成10年8月林徳寺仏教壮年会報「誠心」掲載

 

 今年度(平成10年)から新潟組の連続研修会(略して連研)が再開されました。

 これは組内各寺院の門徒の方々から2年間で12回の連続した研修会に参加していただき、浄土真宗のご法義を学んでいただくものです。その後、本山で中央教修に参加しますと、「門徒推進員」の資格を得る事ができます。

 2年間で12回と言う回数の多さや、参加資格に年齢制限(本山の中央教修に参加する時点で65歳以下)がある事などから参加者の募集が難しく、新潟組ではしばらく休止をしておりました。今年度から再開するにあたって私がその委員長に指名され、昨年度からその準備に四苦八苦しておりましたが、ようやく組内の10ヶ寺からご門徒20名の参加を得て再開にこぎつけました。

 この7月11日には今年度第4回目の会場に林徳寺があたり、参加者や各ご寺院方など30名近い方々にご出席いただきました。参加者は初めてこの林徳寺にお出でになった方がほとんどでしたが、心が和らぐような暖かな雰囲気のお寺であると、喜んで本堂や境内を散策して帰られました。

 この第4回目の研修での話題に、「自分はこれまで他人に迷惑をかけた事はないが、それでもみ教えを聞かなければならないのですか」と言うものがありました。皆様はどのように思われますか。

 よく考えてみますと、他人に迷惑をかけないで生きる事など私たちには到底できない事です。多くの命を奪う事によってやっとこの身を保っているのが私たち人間です。これだけでもどれほどの迷惑を他の人(あるいは命)にかけているか知れません。また、私たちが良い事と思ってした事が他人にとって大変な迷惑になっている事も珍しくありません。こうした事に気付かされることがみ教えを聞くと言うことです。蓮如上人のお言葉に「人のわろきことは、よくよく見ゆるなり、わが身のわろきことは、覚えざるものなり」とありますが、み教えに出会って初めてわが身の本当の姿に気付かされるのです。私は罪悪を作らずには生きられないと知らされる事が、み教えを聞くと言うことです。

 わたしたちはみ教えを聞いてはじめて私の本当の姿に気付かされ、良い事などしたくても到底できない自分であったと知らされるのです。阿弥陀様の尊いみ教えに出合うことがなければ、いつまでも「自分はこれまで他人に迷惑をかけた事はないが、それでもみ教えを聞かなければならないのですか」と言い続けている事でしょう。聞かなければ気付かない、気付かなければ聞かない、の繰り返しのうちにこの人生を終わらせる事になっていたらと思いますと恐ろしい事です。この世で阿弥陀様のみ教えに出合う事ができた喜びを改めてかみ締める思いです。

 残念ながら私たちの本当の姿は、阿弥陀様のみ教えに出合った後も変わる事はありません。親鸞聖人が「臨終の一念に到るまで、とどまらず、きえず、たえず」とおっしゃった通りです。しかしそれに気付かせて頂いて、自分自身はもとより世の中全体の現実を見つめながら、阿弥陀様の願いに従って「おかげさまでありがとうございます」の報恩感謝の日暮をさせていただける事は、どれほどありがたい事かわかりません。

 このたびの連研に参加された方々も、本当に良いご縁を頂いたと喜んでおられます。私たちも尊いご縁によってこの阿弥陀様のみ教えに出合う事ができた事を喜び、聴聞を重ねる事によって、よりそのご縁を深めさせていただきたいものと思います。