東日本大震災の年に当って

平成23年8月 林徳寺仏教壮年会報「誠心」 掲載



 2011(平成23)年と言えば、今後日本の歴史が続く限り「東日本大震災の年」と言われることでしょう。それほどあの3月11日の出来事は、私たち日本人の記憶に大きな場所をしめる事となりました。
 
 マグニチュード9・0という、歴史上、人類が経験した中で4番目に大きな地震でした。もちろん日本では関東大震災などを上回る、最大の地震です。
 これだけでもおそらく大変な被害が発生していたはずです。しかし、この地震だけでの被害がどの程度だったかは、全くわかりません。その後に発生した大津波が、地震の被害を受けた建物などを全て押し流してしまったからです。地震発生の当日テレビに放映された津波の様子は、決して忘れることのできないものでした。
 大きな津波がくるにもかかわらずその方向に走り続ける自動車に、「危ない!そっちに行くな!」と、テレビに呼びかけても無駄なことはわかっていながらも叫ばずにはいられませんでした。
 
 大きな船が流されてビルの屋上に上がっていたり、大量の自動車がまるでおもちゃのように軽々と運ばれていたり、此の世の地獄とはまさにこれを言うのだろうと、思わざるを得ない光景の連続でした。報道機関などがインターネット上に多くの画像を発表(←ここをクリックすると映像を見ることができます。ただし、ショックを受ける画像が含まれています。そのつもりでご覧ください。)していますが、今見ても、当日の恐怖がよみがえってくるように感じられます。
 
 新潟日報に、多くの地震関連の記事が掲載されました。その中で宮城県山元町の普門寺住職、坂野さんについて書かれた記事が印象に残っています。
 『がれきと濁った水に阻まれて、寺にたどり着いたのは震災から6日後だった。本堂には別の家が流れ込んでいて、約200の墓はがれきと泥に埋もれていた。数日間はどうしていいか分からず、ぼーっとしていた。数日後、旦那さんを亡くした檀家さんに供養を頼まれた。ガソリンがなくて行けないと断ったら、ものすごく怒られてね。それで目が覚めて、自転車で駆け付けた。次の日から避難所や斎場を回って檀家さんを捜した。』と、住職さんの生の声が書かれていました。
 亡くなった方への供養の依頼を、ガソリンがなくて行けないと断ったなど、その頃の住職さんの精神状態がよく分かります。きっと私だったら、もっと混乱をきたしていたことでしょう。そして此の後まだまだ悲惨な内容が続くこの記事の最後は、
『今は誰も来ないけど、お盆になったらきっとご先祖様に会いに来るよ。その時までにお墓をきれいにして、みんなで茶飲み話、したいなぁ。家もない、家族もいない、墓もないじゃあ、あんまりだもの。』という文で結ばれていました。
 ここを読んで、私は涙が止まりませんでした。私は日本人で良かった、仏教徒で良かった、住職という立場は本当にありがたいものだったなぁと、改めて気付いた思いでした。
 
 また、宮城県石巻市の小学校6年生の女の子に関する記事も、忘れることができないものでした。
 
『なんで自分は助かったのだろうか。迎えに来た母親の手を振り切って学校に残ればよかった。20人の同級生のうち、無事だったのは4人だけだ。卒業式を1週間後に控えていた。みんな仲が良かった。教室を出ようとした時、突然の大きな揺れ。とっさに隣の席の子と同じ机に隠れた。黒板が倒れ、教室がきしむ。机の脚が持てないほど。がたがた動く机の下で友だちと叫ぶように言葉を交わした。揺れがおさまり、一斉に校庭へ。すぐに仕事が休みだったお母さんが迎えに来てくれた。自宅に戻ると、飼っていた犬を逃がしてあげようと外に出たおじいさんが、土手を越えてしぶきを上げる黒い波に気付いた。「逃げろ。」犬の首輪を外して家族と車に飛び乗った。翌日避難所で周りの親たちの嘆きが聞こえた。「うちの子が見つからない。」「あの子もだめだった。」地震の時、机の下で話した子も亡くなった。行方不明になっている友達の親がリュックを背負って長靴を履き、探しに行く姿を見ると、何も言えなかった。14日のホワイトデー。亡くなった友達のお母さんがマシュマロを持って来てくれた。その子にはバレンタインデーに女の子同士で交換し合う「友チョコ」をあげていた。「お返しはいいからね」って言ったのに用意してくれていたんだ。マシュマロとともに、友達のお母さんに「楽に生きてね」と言葉をかけられた。何で生き残ったのかなんて考えないでって、気持ちを見透かされたような気もした。「自分たちだけが」と責め続けてきた。けど、そうしなくてもいいのかもしれない。やっと思い始めた。「こんなに悲惨なことがあった。それは伝えることができる。」助かった命。亡くなった友達の分まで、自分らしく生きよう。』
 引用が長くなりましたが、これも涙を流しながら読んだ記事でした。特に、ホワイトデーに友達のお母さんがマシュマロとともに掛けてくださった「楽に生きてね。」という言葉は、私には全く思いもつかない、ありがたい尊い言葉に思われました。この女の子の命を救った言葉です。すばらしいお母さんだなぁと、感動を覚えたのですが、それだけではないようにも感じられました。
 
 きっとこのお母さんの娘さん、残念ながら亡くなって仏様となっている娘さんが、あまりにもつらい想いでいるこの女の子のことを見捨てることができずに、「どうかお母さん、あの子に声を掛けてあげてね、生きる力を与えてあげてね。」とお母さんに働きかけてくださり、その仏様の思いがお母さんに伝わって、お母さんの口を通した言葉となって働いてくださったのではなかろうか。そんなことを勝手に感じておりました。
 
 これまでに日本人が経験したことのない大災害です。いろいろなドラマがあったことでしょう。それらを、新聞・テレビを通して見聞きするたびに、日本人のすばらしさも感じることができました。
「家を失った日本の被災者は、おにぎりと味噌汁を食べるだけで深くお辞儀し、食べ物のありがたみに感謝している。記憶の中にある豊かで先進的な日本の姿は消えてしまったが、確固たる強さと秩序は守られている。その姿は感動的だ。」と台湾のメディアが報じたそうですが、全くその通りだと私も感じました。日本はまだまだ大丈夫です。
 
 最後にもう一つ、私が感動した文章をあげてみたいと思います。
 
『宣誓。
  私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
  今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
  被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
  人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
  私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
  「がんばろう!日本」。
  生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。』

 
 平成23年3月23日に、岡山県の創志学園高等学校野球部、野山慎介主将によってなされた、選抜高校野球大会の選手宣誓です。
 
 私たちも、生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々と生きていきましょう。そうしなければ、大震災の犠牲者をはじめとする、多くの仏様方に申し訳ありません。いつも私たちを見守り続けていてくださる仏様方に、安心していただける生き方をしていきたいと、今年は本当にこころから思ったことでした。