日本人は無信心ではありません
浄土真宗本願寺派 教誨師 眞谷 誠祐
新潟刑務所『すがた』平成23年3月号掲載

 日本人はお正月に、全国の神社やお寺に初詣に出かけます。代表的なところでは、東京の明治神宮に正月の三が日で320万人(2010年)が参拝されたといいます。
 イスラム教の信者が一生に一度の巡礼を義務づけられているといわれる、サウジアラビアのメッカでも、年間の巡礼者は500万人程度だそうですから、この初詣の人数は驚くべき数字です。
 もちろん、飛行機を乗り継ぐような長距離移動の末にメッカの巡礼を果たすことと、電車を乗り継いで明治神宮に参拝することを単純に比較することはできません。けれども、これだけの数の日本人が、間違いなく宗教的な参拝を目的として、神社やお寺を訪れているのです。このことから見ますと、決して「現代の日本人は宗教に無関心だ」とは言えないように思います。
 ところが、数年前に読売新聞が行った調査では、七割の方が宗教を信じていないと答えたといいます。この矛盾はどこから生まれるのでしょうか。
 昨年9月に、新潟日報の『聞く』というコラムに、ヨーロッパのチェコから上越教育大学に留学中の方の意見が掲載されました。その中に「日本では仏壇やお墓を前に、あの世の人と普通に対話をすることが多い。欧米では、たとえ家族でも亡くなった時点で関係はおしまいです。写真も飾らない人が多い。こんな対話をしたらおかしいと見られてしまう。死者との対話が社会的に認められていないんです。」という文がありました。
 この文を読んで私も、日本人ならば誰もが不思議に思わないことが、実は世界的に見て珍しいことだったということに、初めて気付かされました。このように私たち日本人は、自分たちの行動が実は仏教や神道といった宗教の教えに基づいたことだったと気付かないでいることが多いのかもしれません。そのために宗教的な行動をたびたびとりながら、宗教を信じていませんと答えてしまうような矛盾が生まれるのかなと思われます。
 ただ、「たとえ家族でも亡くなった時点で関係はおしまい」にはならない日本人に生まれたことのよろこびには、是非気付いてもらいたいと思っています。