戦国時代の浄土真宗

平成19年8月 林徳寺仏教壮年会報「誠心」 掲載

 

 今年(平成十九年)のNHK大河ドラマは、武田信玄とその軍師であった山本勘助を主人公にした『風林火山』というドラマです。ご覧になっておられる方も多いことでしょう。

 このドラマの舞台は、言うまでもなく「戦国時代」といわれる時代です。この当時の浄土真宗はどのような状態であったか、皆様はご存じでしょうか。

 あるいは今後このドラマの中にも、本山であった「石山本願寺」や当時の御門主様、そして御門徒の様子などが出てくることがあるかもしれません。それくらいに、この時代における浄土真宗の果たした(というか果たさざるを得なかった)役割は大きいのです。この時代の浄土真宗および本山本願寺について、林徳寺との関わりも含めて書いてみたいと思います。

 本願寺の第八代蓮如(れんにょ)上人は、激しくなる戦乱から浄土真宗の教えと門信徒を守るために、現在の京都市山科区に「山科(やましな)本願寺」を建立されました。一四八〇年頃のことです。この当時の蓮如上人の御苦労の様子は、今年六月二〇日にNHKの『その時歴史が動いた』という番組で、『乱世に祈りを〜蓮如・理想郷の建設』と題して放送されました。

 この山科本願寺は、四三万坪といわれるその寺域の周囲に二重、三重の土塁、水堀をめぐらせた、巨大なお城でした。そしてNHKの言葉を借りれば、仏の教えによって治められる理想の国「仏法領(ぶっぽうりょう)」でもありました。

 蓮如上人は山科本願寺の完成後、寺務を五男の実如(じつにょ)上人(本願寺第九代)に譲られ、大阪に建立した石山(いしやま)御坊(ごぼう)で隠居生活をされていましたが、亡くなる前に山科本願寺に戻りここで亡くなられました。蓮如上人の廟所(びょうしょ)(お墓)は今も京都市山科区にあります。

     蓮如上人御廟

山科別院

 山科本願寺は約五〇年間戦乱に巻き込まれることなく、平穏な日々を過ごすことができました。この時代においては奇跡といってもよいことです。

 しかし第十代となるべき円如(えんにょ)上人が実如上人に先立って亡くなられ、御孫の証如(しょうにょ)上人が一五二四年に、わずか十歳で第十代を継がれた頃から戦乱の波が本願寺をおそうこととなりました。そして一五三二年、室町幕府管領(かんれい)の細川晴元が近江の大名である六角氏や日蓮宗徒などと共に襲撃してきて、とうとう山科本願寺は灰燼に帰してしまったのです。今、山科本願寺の跡地には「本願寺山科別院」が建っています。立派な本堂や蓮如堂を持つ広大な寺院ですが、当時の規模に遠くおよばないのは言うまでもありません。

 山科本願寺を焼かれた後、証如門主は所々を逃れ歩かれたすえ、一五三三年にようやく蓮如上人の隠居所であった、大阪の石山御坊に入られました。

 この細川晴元との戦いにおいて林徳寺の初代である眞谷徳誓(またにとくせい)が勲功を示したと言われています。その功績に対して証如上人から「証如上人御裏書き 三百代ご本尊」(右の写真)を頂戴しました。現在も寺宝として大切にお守りしています。

 その後石山御坊を順次整備し、一五四〇年頃には十の町が寺内町として存在し、その周囲を堀で囲った巨大な寺院「石山本願寺」となったのです。その頃眞谷徳誓(またにとくせい)は摂津(せっつ)国西生(にしなり)郡林寺(はやしじ)(現在の大阪市生野区林寺)に住まいし、その地名と自身の法名から一字をとって「林徳寺」と名乗りました。これが林徳寺の誕生です。

BSN「仏の花道」より

 石山本願寺が整備されてからも浄土真宗の苦難は続きます。証如上人は一五五四年、病のため三十九歳でなくなってしまわれるのです。続いて第十一代門主となられたのは、十二歳の顕如(けんにょ)上人でした。戦乱の時代に幼くして父と別れ、浄土真宗の運命を背負われた顕如上人のご苦労は大変なものであったと思われます。上人と後に長年にわたって戦争を続けることとなる織田信長は、上人より九歳の年長でした。また今年の大河ドラマの主人公、武田信玄は二十二歳年長です。これらの武将と渡り合って浄土真宗の教えと門信徒を守る戦いを続けられたのが顕如上人でありました。

 ここでようやく話が大河ドラマと結びついてきます。武田信玄の奥方である「三条夫人」という方がドラマに登場しています。池脇千鶴という女優が演じて「あらしゃいます」といった公家言葉で話している方です。じつは、この三条夫人の妹が顕如上人の奥様になられるのです。どちらも左大臣、三条公頼の娘です。

 その縁で、後に本願寺と武田氏は同盟して、共に織田信長と戦うことになるのです。

 一五六八年に上洛を果たした織田信長は、一五七〇年に石山本願寺の土地(今の大阪城の土地)を明け渡すことを求めてきました。日本全土を統一する戦いの中心として最適な場所だったのでしょう。しかしこれまで書いてきたように、浄土真宗としてはようやく得た安住の土地です。しかも蓮如上人以来のいわれをもつ、大切な土地でもあります。当然、土地を明け渡すことを拒否しました。そして、山科本願寺のようなことになっては大変であると、全国から多くの門信徒が集まって、織田軍と戦うことになったのです。このとき顕如上人は二十八歳でした。

 織田信長は是が非でも本願寺の土地を奪わんと、石山本願寺を包囲し、攻め続けました。顕如上人は義理の兄である武田信玄を初め、浅井氏、朝倉氏、毛利氏などの大名と連携をしてこれに対抗しました。ところが一五七三年に、最も頼りとしていた武田信玄が病没したこともあって、戦いは徐々に不利となり、一五八〇年に、大阪の土地を明け渡すことを条件に講和を結びました。十一年間の長い戦いが終わったのです。

 この石山合戦に、林徳寺第二代の眞谷正誓が参加しています。そして戦いが終わった後に、石山本願寺の土地は織田信長に譲られ、顕如上人は和歌山県の鷺ヶ森に移られました。それに伴い、石山本願寺に立て籠もっていた多くの門信徒は全国各地に散らばっていったのです。眞谷正誓も西生(にしなり)郡林寺(はやしじ)には当然いられなくなりました。そこで、共に戦った方々と一緒に、越後国蒲原郡金津庄江口村(現在の新潟市江南区江口)に移住しました。これが現在の林徳寺の始まりです。

 このような歴史の流れを知った上でドラマを見たならば、楽しみが一層広がるのではないでしょうか。七月以降に放送される後半部分を、期待して見たいと思っています。