秋彼岸

新潟市仏教会だより「仏法僧」平成18年秋彼岸号掲載

 

 7月5日に北朝鮮が日本海に向けてミサイル7発を発射しました。

 この事態に対して、国連等を舞台に各国の様々な思いが交錯した外交交渉が行われています。この原稿を書いている時点では、どのような結論が出されるのか全く見当がつきません。

 私たちは自己中心的な考えを抜けきることは難しく、その考えに基づく物事への執着を捨てきることができません。このような考えや執着が煩悩と言われるものです。

 今回の一連の動きを見ていますと、人間が形成する国家も、同様に煩悩を持っているのだと感じられます。

 この煩悩にまみれた世界を「此岸(しがん)」と言います。そして本当の「智慧(ちえ)」によって煩悩を断じた覚りの世界を「彼岸(ひがん)」というのです。日本を始めとする各国が、それぞれの持つ煩悩を知らしめられる智慧が今こそ必要です。そして、その本当の智慧とは、仏教にこそあると信じます。

 日本独自の行事として、春分・秋分の日を御縁に「彼岸会法要」が各寺院で執り行われます。

 このような行事が仏教と結びつく形で行われるようになったことには、様々ないわれがあるようです。ただ昔の日本人が、太陽が真東から上って真西に沈む日を、特別に大切な日として受け止めたことはわかるように思います。農業を中心として生活した人々にとって、太陽の恵みは何より大切であったからです。

 仏教経典では「光」が仏の「智慧」を象徴するものとして良く用いられています。光の源である太陽にとって特別な日に、智慧によって覚りの彼岸に至るための行事を行うことは理にかなっているとも言えます。

 さてその光ですが、実は私たちは光そのものを見ることはできません。ただ周囲の何かに反射してきた光を見ることができるだけです。昼間明るいと感じるのは、大気中のゴミや水滴が太陽の光をいろいろな方向に跳ね返らせている(光の散乱現象と言います)からです。宇宙空間で、太陽が照っていても真っ暗なのは、太陽の光を散乱させる大気がないからなのです。

 仏様の教えを聞いても、そんな目に見えないものは信じられないという人がおられます。しかし、実は太陽の光さえも直接見ることのできないのが人間なのです。

 お彼岸を機会に、本当の智慧に思いを巡らせていただければ幸いです。