新年にあたって

新潟市仏教会だより「仏法僧」平成17年お正月号掲載

(住職の原稿を、新潟市仏教会が加筆修正してくださったものです。)

 

 皆様、明けましておめでとうございます。この新潟県における昨年は、三条市等における「七・一三水害」、その後の度重なる台風による被害、そして十月二十三日の「新潟県中越地震」と、大変な災害が集中した一年でありました。被災された方々には心からお見舞いを申し上げます。

 毎年新年の挨拶で使っております、「明けましておめでとうございます」の「明ける」という言葉には、「明るくなる」
(年が)改まる」といった意味があります。すなわち前年の不幸や障害が改まって明るい新年となってくれることを願っての挨拶が、この「明けましておめでとうございます」という言葉でしょう。本当に切実な思いでこのように願っておいでの県民の皆様が多くいらっしゃることと思います。

 今からおよそ百八十年前の文政十一(一八二八)年十一月、三条地方を中心に大地震がありました。このとき七十一歳だった良寛は、地震から一カ月後友人に無事を知らせる手紙を出しています。その中に「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」という有名な一文があります。

 これはうっかりすると、とんでもない誤解を受けかねない文です。しかしここには、仏教思想に根ざした良寛の確かな覚悟が感じられます。逃げることも、また誤魔化すこともできない現実をしっかりと見つめ、さらに「今を精一杯に生きる」ことの大切さを表現しているのでしょう。

 私達のことを顧みますと、僅かな災難にも「どうして私ばかりが」と恨んでみたり、「あの時こうしておけば」と過去を悔いてみたりするのみで、現実をしっかり見つめることができなくなってしまいます。しかし実際はこの「今」を自分が生き抜かなければならないのです。誰も代わってくれませんし代わってあげることもできないのです。その覚悟を持って「今」を生き抜いていくことこそが仏の願いにもかない、ひいては未来を開いていくことにもなるのです。

 昨年という年が改まってどのような新年が開かれるかは誰にもわかりませんが、どのようなときにも「今」から目を背けずに生き抜く覚悟を持ちたいものです。