浄土真宗の生活信条について

平成16年8月 林徳寺仏教壮年会報「誠心」 掲載

 

 一昨年(平成十四年)六月に満九十歳をもってご遷化された前門様が、昭和二十三年の大谷本廟親鸞聖人七百回大遠忌法要「御満座の消息」の中でお示し下さったのが、「浄土真宗の生活信条」です。

一、み仏の誓いを信じ
   尊いみ名をとなえつつ
   強く明るく生き抜きます

一、み仏の光をあおぎ
   常にわが身をかえりみて
   感謝のうちに励みます

一、み仏の教えにしたがい
   正しい道を聞きわけて
   まことのみのりをひろめます

一、み仏の恵みを喜び
   互いにうやまい助けあい
   社会のために尽くします

という四つの文からなるものですが、お経本の最初などに必ず掲載されていますので、ご覧になったことがおありだろうと思います。私はこの「生活信条」に、浄土真宗の教えがすべてまとめられているように感じられます。

 阿弥陀如来は「我にまかせよ、必ず救う」とお誓い下さり、今もこの私一人を救わんがために御浄土においてはたらき続けていて下さいます。私達はその阿弥陀様の誓いを信じおまかせをして、授かったこの生命(いのち)をしっかりと生き抜いて行かなければなりません。

 しかし本当に阿弥陀様はこの私を救って下さるのでしょうか。生命終わったその先に、先(さき)だって往(ゆ)かれた方々が本当に仏様となってこの私を待っていて下さるのでしょうか。そもそも浄土などというものがあるのでしょうか。もしかしたら人は死んでしまったらすべて消えて無くなるのであって、もはや二度と連れ合いや子や孫達とは会うことなど出来ないのかも知れません。そう思うと不安でたまらなくなることがあります。

 どんなに御法話を聴聞しようとも、また書物などを読んで勉強しようとも、阿弥陀様のお誓いを信じることは簡単なことではありません。勉強をして学者の方々の教えを聞くことによって、頭では理解できるようになるかも知れません。しかし理解することと信じることは全く別物です。
 私はご存じのように大学で理系の学問を致しました。その結果飛行機が空を飛ぶ理屈は十分理解しています。説明をしようと思えば数式を使って説明をすることもできます。しかしあんな大きな鉄のかたまりが空を飛ぶことは、未だに信じることができません。今でも飛行機に乗ると怖くてしようがありません。このように理解はできても信じられないことは世の中に多くあります。ましてや生命終わったその先のことです。どんなに親鸞聖人のお言葉をお聞かせ頂こうとも、なかなかに信じることは難しいことであります。

 しかし私達はそれを信じて、初めて本当の人生を送ることができることも確かです。高校生が卒業後の進路が決まって初めて本当に安心した楽しい学校生活を送ることができるようなものでしょう。卒業後に進学するのか就職するのかさえ決まっていなかったら、ましてや卒業などということが本当にできるのかさえはっきりしていなかったら、どんなにか不安な学校生活でしょう。しかし進路の目標が定まれば、その目標に向かった準備もできますし、毎日張り合いのある学校生活が送られるのです。
 私達も何らかの奇跡とも言うべき尊い御縁によって阿弥陀様の教えに出会い「必ず御浄土に生まれさせていただいて仏様にさせていただける」と信じて生きることができたときに、初めて本当の人生を強く明るく生き抜いていかれると思うのです。これが「生活信条」の最初の文に示された浄土真宗の根本ともいえる教えであります。

 二番目以降の文にも、親鸞聖人の教えの大切なところがわかりやすく、具体的に示されています。まさに名前の通り、私達浄土真宗門徒の生活信条とすべき言葉であると思います。私は毎朝本堂でのお勤めの際にこの四つの文を称えています。常に称えることによって、少しでも生活の上にこの教えが形となってあらわれるようになりたいと願いながら称えているのですが、なかなかうまくいかないのが恥ずかしい限りです。

 どうか皆様も毎朝お仏壇に手を合わせられる際に、お経の拝読とともにこの「浄土真宗の生活信条」を称えてみて下さい。必ず長い間に身に付いて、日々の生活にこの教えが生かされてくることと思います。感謝のうちに励み、社会のために尽くす生活をともにいたしましょう。