秋彼岸を迎えて

新潟市仏教会だより「仏法僧」平成15年秋彼岸号掲載

 

 「国民の祝日に関する法律」の第二条に、『春分の日』は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」『秋分の日』は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」と定められています。春は若葉が芽生える季節ですし、秋は逆に木の葉が紅葉して散ってゆく季節です。このような自然の営みから、春分・秋分の両日が祝日法に定められていることは、私たちに素直にうなずくことのできる理由といえるでしょう。

 この春分の日、秋分の日は、言うまでもなく彼岸の中日に当たります。この日には太陽が真東から昇り真西に沈みます。そして昼と夜の長さが同じになる日でもあります。

 私たちは太陽からの光によってものを見ることができています。そこで太陽が天にあり、ものを見ることができるときを「昼」と呼びました。一方太陽が地平に沈み、ものが見えなくなったときを「夜」と呼んだのです。昼も夜もあくまでも相対的なものです。昼があるから夜があるのであって、いずれかが単独で存在することはあり得ません。このように私たちの周りのものは、すべて互いの関係から成り立っています。

 もちろん、私たちのいのちも同様です。すべてのいのちは過去から未来に向かって、互いに因となり縁となりながら共存しているのです。私たちはすべて、永遠の時間と無限の空間の中に、互いの関係の中で今生かされているのです。生かしていただいているのです。

 このように、普段の生活の中では全く見過ごしてしまっている大いなる真実に気付かされ、また同時に、そこへ思いをはせることのできる絶好の機会がお彼岸かもしれません。

 この時期をご縁として、仏となって私たちに働きかけてくださる祖先に感謝しながら、「私のいのちを本当に生きること」の意味を改めて考えてみたいものです。