「聖夜」に思う

昭和61年8月林徳寺仏教壮年会報「誠心」掲載

 

      聖夜

  星の夜空のうつくしさ
  たれかは知るや天のなぞ
  無数のひとみ輝けば
  歓喜になごむわがこころ

  ガンジス河の真砂より
  あまたおわするほとけたち 
  夜昼つねに守らすと
  聞くになごめるわがこころ

 「聖夜」と聞いて、キリスト教のクリスマスに歌われる「きよしこの夜…」と続くあの歌を連想される方がおられるかと思いますが、これは「仏教讃歌」に載せられている聖歌で、私が特に好きな歌のひとつです。

 作詞をされました九条武子様は、第二十一代門主明如上人 大谷光尊様の次女としてお生まれになり、仏教婦人会の設立や女子教育、社会事業のためにご尽力されました。その歌集や随筆の数々は、今なお多くの人々に読まれています。

 寂しい心、悲しい思いをかかえて歩く夜の道で、ふと見上げた星空が、なんとも言えないなごやかさを感じさせてくれたことが、誰にでも一度はあるのではないでしょうか。たったひとりで歩き続ける人生の暗い道で、夜の空にまたたく星のように無数の御仏に守られていたことを知ったとき、私どもの心は安らぎます。しかも、明るい昼の間にも、青い空の向こうに星がまたたいているというのです。

 私などは日ごろ、このことをすっかり忘れて、すべて自分中心に物事を考えながら暮らしております。
 私どもの長女もおかげさまで二歳を過ぎ、にぎやかな毎日です。子供の身になってみれば、泣いたり、言う事を聞かなかったりするのには、何か理由があるに違いないのですが、つい私の都合で叱ってしまったり、よく話を聞いてやらなかったりということがしばしばあります。出産前はいつもニコニコしたやさしい理想の母親像を描いておりましたのに、現実は鬼のような母親で、理想の母親像どころではありません。

 御院主様のご法話で、母親の子を思う気持ちは阿弥陀様のお力にも似ているなどとお聞きいたしますと、母親失格の私としましては、恥ずかしさと申し訳なさで身の置き所もないような気がいたします。
 しかし、子供がいることで、私の醜さきわまりない心が映し出され、ハッとさせられる事がしばしばあるという事は有難いことです。今まで見えなかった私に気づかせてもらえるからです。「子育て」というよりもむしろ、子に親が育ててもらっているとでも申しましょうか。

 「聖夜」を心安らかに歌えるような、そんな娘に育ってほしいと願っております。