恵信尼様と私

昭和60年8月林徳寺仏教壮年会報「誠心」掲載

 

 親鸞聖人が、朝廷よりの弾圧を受けて越後の国府に流されてこられたのは、今から七百八十年ほど昔−−聖人、三十五歳の時でありました。そしてこの越後の国で聖人の妻となられましたのが、恵信尼(えしんに)様と呼ばれるお方であります。
 この恵信尼様は、越後の豪族 三好為教(みよし ためのり)の娘として生まれられ、聖人と結婚された後、聖人と共に越後から今の茨城県へ、そして京都へと移り住まれております。晩年には再び越後へ帰られて、最後は八十九歳の頃、越後の国「とひたのまき」において、聖人の待たれるお浄土へ帰って行かれたのであります。

 この「とひたのまき」とは、現在の中頸城郡板倉町米増(よねます)という辺りであろうと考えられております。そしてこの地に、恵信尼様のお墓と考えられる「五輪の塔」が残されていることは、ご存知の方も多いことでしょう。
 この板倉町米増は私の家内の実家に近く、さらに先ほどの「五輪の塔」発見に貢献した一人が家内の祖父 藤田摂受師であることから、恵信尼様は私にとって非常に身近に感ずることのできるお方であります。その親近感のあまり、娘に「信尼様ので生まれた」の意味で恵里子と、勝手に一字を頂戴して命名させていただきました。最も、名前には「江口(ぐち)の林徳寺(んとくじ)の娘()」という重要?な意味もあります。

 さてこの親鸞聖人と恵信尼様のご夫妻は、互いに、観音菩薩の化身と心の中で拝みあって一生を過ごされたご夫婦でありました。信心に結ばれ、すべてのものをあたたかく包み、ゆるし合った慈悲の世界に生きられたのが、聖人夫妻でありました。

 私は、神戸における勤めを退職し、新たに聞法の生活を始めさせて頂くことですが、このお二人を念仏者の理想として、 妻子ともども、御仏の大きな慈悲に生かされる身をよろこびながらの日暮らしをさせていただきたいと思っております。
 よろしくお願いいたします。